【岐阜関ケ原古戦場記念館】古戦場史跡紹介23 南宮山を抑える東軍諸将の陣跡

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 11 дек 2024

Комментарии • 7

  • @はりきたかし
    @はりきたかし Год назад +1

    たいへん、勉強に、なります!池田氏は、大大名です!
    豊橋の吉田城は、行きました。

  • @まんまるあやちゃん
    @まんまるあやちゃん Год назад

    嘗てあるコラムで「山内一豊は山内一豊の妻の夫と言われないと誰だか判らない」とまで言われる程、内助の功で身を立てた人として知られていたようです。少なくとも私はそう思っていました。
    日本史好きの連れ合いに「そんな事はない、山内一豊本人も大した武将だったのだ」と散々に聞かされました。
    しかしてここで小和田先生から内助の功のお話を聞いて思いました。奥方様が一枚上手だ。

  • @河内少将
    @河内少将 Год назад +1

    小山評定の時の掛川明け渡しは最新研究でも史実とされているのでしょうか?

  • @リエ-l3f
    @リエ-l3f Год назад

    92万石なんて、凄いね?!

  • @明智実光秀嫡流と作-t9d

    池田輝政は、岐阜城を攻め落とした功が大きかった。家康の娘を、妻としてたことも大きい。

  • @明智実光秀嫡流と作-t9d

    西国将軍92万石、凄いなあ。池田輝政は、土岐東池田と考えてる。

  • @明智実光秀嫡流と作-t9d

    池田輝政は、土岐東池田(多治見市所在)なんだろうか。